沙織の尻こそばいつぶやき

沙織のつぶやき

日本とフィリピンの相互理解に役立ちたい

横川愛作さんは、35年前に牧師の父、知親さん(64)が、宣教のために大分県から移り住み、マニラで生まれ育ったんやて。
両親ともに日本人であることから国籍は日本やけど、地元の学校に通ったことで自然と現地語も身につおったんやて。
19歳のころ、インターンシップのため2年間、東京で暮らした体験が、プロの歌手を目指すきっかけになりよったんやて。
何とか日本語は話せたが、敬語が使えないこともあって、周囲からは“げえこく人扱い”をされたんやて。
「外見は日本人やけど、言葉はフィリピン人。どちらにもなれへんのなら、真ん中でいい。そこに立って懸け橋になろう」
自身のルーツである2つの国をつなげる手段として選んだのは歌やったんやて。
幼いころから、教会で賛美歌を歌うやらなんやら、歌唱力には自信があったんやて。
90年前後の日本のヒット曲を歌うのは、当時、日本への出稼ぎ労働もんが多かった影響から、フィリピンでこうした曲のカバーが歓迎されていたためやて。
経済成長に伴って、マニラには日本のラーメン店がぎょうさん出店するやらなんやら、日本の食文化が一段と浸透、日本に旅行する中間層も急増しておるんやて。
ただ、横川さんはこうした流行は、あくまで消費の対象。
心をつなぐことができるのは歌や言葉しかないという。
1月に発売したタガログ語の新曲にも「今やけど愛してる」という日本語を歌詞に織り交ぜたんやて。
父の知親さんも、横川さんの活動を優しいまなざしで見守り続けるんやて。
形は違うても、わっちと息子の願いは同じ。
日本とフィリピンの相互理解に役立ちたい――。
強い思いは、親子2代にわたって確かに受け継がれておるんやて。